たっぷりのお米にたっぷりと纏まれたつぶ餡が堪らない〜 口に入れた瞬間にわかる、お米の美味しさ。
もっとお店の人に聞いた所「別に名古屋とは関係無いんですよ」とか言われちゃったので、そっち出身の店員が勝手に創作していっちゃったのかもしれません。
もっと今回のお店は始めにふれたように交通会館の地下、それもやや奥まった所にあります。 それぞれ1個から購入でき、手土産にも重宝する。
もっとということもあり、彼らを相手にするような店が集まっていたと。 常連は寺崎浩、丸岡明、立野信之、青野季吉、中島健蔵、横山隆一、那須良輔、高見順、田村泰次郎、武田泰淳、梅崎春生、吉田健一、河上徹太郎といった諸氏等に 豊島(与志雄)さん、久米(正雄)さん等のも顔を見せた。 食に関する番組は数多く作ってきましたので、ユニークかつ美味なものをお伝えできると思います。 赤飯とおかず、みたいなのはよくあるんですがね(栗おこわ弁当のような普通のもある)。 唯一、高いながらも本物の酒を出す(広島の「賀茂鶴」)店として広島屋(この店はカタチを変えて交通会館に現存する)というの銘酒屋があり、そこにツケをして飲むって記者が多かったんだそうです。 店主の阿部さんが こんなお話をしてくださいました。
もっと甘味おかめの季節限定おはぎ そして今まさにシーズンの期間限定の人気おはぎがこちらです。 敗戦で有楽町が闇市・パンパン地帯(上の写真は昭和22年当時のもの)になっちゃったというのは前回ふれた通りなのですが、ではそういった部分が全部無くなったのか、というとそうでもなく、文芸評論家の巌谷大四は『非常時日本文壇史』に、こう書いています。 すっかり満腹になって、 パワーがフルチャージできた。 なんでもこのお店、基本手作りなんだそうです。 1000人の孤児を救った青年の話で、何度も涙すると、反響をいただいております。 無政府主義者で、後に在日本大韓民国民団(いわゆる民団)の初代団長となった朴烈~の愛人だった金子文子も、ここにあったカフェで働いていたことがあったようで、まぁこういった人達が出入りしていたんですね。 そんなところもこういうお店にはいい。
もっとそれで、イトシアの方にキレイな有楽町店が出来ても、コッチへ来てしまう、と。 ピスタチオがついているのも、 うれしいな。 屋台に毛が生えたようなバラックの、縁台のような椅子に五、六人掛ければ一杯になるような店ばかりで、一杯になると、みんなまわりをかこんで、立ったまま、コップになみなみとつがれたカストリ焼酎を呑むわけである。 大きな声では言えないがお得意は新聞社の連中だった。 誰がみつけたのか知らないが、自然に作家連中があつまった。 名物おはぎを筆頭に、甘味から食事メニューまで豊富な品ぞろえ。 味はと言えば、どこまでもピュアなあずきの味が至福を与えてくれる。
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